更新日:2018年01月20日

自然と共に生きていく/百姓庵(山口県)

南国の雰囲気が漂います。

透き通ったエメラルドグリーンの海と山々に立つ風車がなんともきれいな山口県長門市油谷(ゆや)。山口県の最も北端にある向津具(むかつく)半島から油谷島に続く細い路地をググッと進めば、築100年の古民家で塩作りをしている「百姓庵」が見えてきます。

自ら手塗りした漆喰の壁、庭には海の家にあるようなバーカウンター、中に入れば趣味で集めたアジアのグッズに、さらには中国茶室まで!ご主人と奥様のセンスが随所に散りばめられたこだわりの空間が広がっていました。

中国茶を楽しむ本格的な部屋

昔ながらの塩作り

現在、塩の製造方法は何種類かありますが、百姓庵では昔ながらの釜炊製法で塩を作っています。

迫力満点!まるでアート作品のようなご主人手作りの立体式塩田装置

①まず油谷湾から海水を汲み上げ、立体式塩田といわれる装置で海水を何度も循環させながら、太陽・風を利用して塩分濃度を上げていきます。(約2週間)

上から海水を流し、除々に水分を飛ばしていきます。

手作りの鉄釜。鉄だと味がまろやかになるのだとか。

②濃度が上がった海水を釜で炊き、さらに塩分濃度を高めれば、除々に結晶化し、塩の層が出来ていきます。はじめに結晶化したものと後からのものでは、ミネラルバランスが異なるため、均一になるよう、「天地返し」という混ぜの技法を施します。塩作りの中でも特に集中する工程で、このときは雄然さんの気迫が凄すぎて、奥様も近づけないほどなんだとか…。

薪は廃材を再利用。

③杉樽で約3日寝かした後、杉箱に移し、にがりと塩を分けます。にがりだけが箱の下に落ちていきます。その後さらに約3日乾燥させて完成です。

杉樽は呼吸しているので、にがりと塩が良く分かれるそう。出来立てのキラキラ輝く塩。じ〜っくりと時間をかけて作った塩は、複雑な旨みを感じる深い味わい。

塩の歴史

昔、塩は自由に生産できていましたが、明治時代に国の財政確保等により、許可なしに生産できなくなりました。その後、電気の力で海水から塩化ナトリウムだけを取り出せる「イオン交換膜式」技術が発達。さらにこれ以外の塩の製造が禁止され、塩化ナトリウムの塩が日本に広まっていきました。現在は完全に自由化されましたが、このような経緯から、伝統的な釜炊製法の塩はとても希少なものとなっています。

海は人間の母である

井上さん

ご主人の井上雄然さんはもともと大手商社に勤務していたのですが、ある日台風の影響で電車がストップ。ライフラインが断絶され、なす術が無い状況に『自ら生きていく力が必要』と感じ、脱サラを決意しました。その後、もともと農業や環境問題に関心のあった雄然さんは多くの国々を旅し、あらゆる文化や農法を学んだそう。そして、原発から程遠いここ油谷にたどり着き、塩作りを開始します。
「人間に必要なのは水・空気そして塩なんです。生物の起源は海と言われていますからね。海水を体液としてきた生物にとって、海はまさに私達の母です。」と雄然さん。生きるために必要なものを自ら作る。それが「百姓庵」の考えです。

海の四季を味わう塩

そんな海と人との関係を繋ぐ塩。油谷湾には大きな二本の川が流れ込み、海と森の栄養が重なり合う「汽水域(きすいいき)」となっています。「ここは微生物や落葉樹など自然豊かな森のおかげで、栄養が海に流れてきています。海の豊かさはその上流の森がどれだけ豊かであるかにかかっているんです。
春夏秋冬で山が変化するように、海に流れる栄養も季節によって変わるので、海の栄養バランスにも変化が出ます」と雄然さん。そのため、季節によって塩の味にも違いが生まれるそうです!

百姓に込められた意味

奥様のかみさん(左)と。

「百姓は百の業を持つこと。かつての百姓は、豊かな自然の中で農業始め漁業や大工など、様々なことを生業にしていました。時代の変化と共に多くの自然が失われ、百姓の意味も変わってきました。自然の中からあらゆる糧を生み出し、自然のものと暮らす生活。そうすれば生活をより豊かにできると思うんです。」と雄然さん。塩作りの道具は工業製品ではなく、自然のものを利用した手作りのものばかり。
また、10年前からビーチクリーン活動を行うなど、自然と人との関係を大切にする百姓庵。自然の恵みに感謝し、自然にも、人にも良いものづくりを目指しているお二人は、まさに現代の「百姓」です。

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