更新日:2016年08月19日

今ある農地を大切に使い安心して食べられる糧を育てたい/金沢大地(石川県)

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日本で有機農業について調べていくと、その生産量やユニークな取り組みで必ずこの名前にたどり着きます。その名は「井村辰二郎」さん。石川県で有機農業に取り組む生産者で「金沢大地」という名前の方がなじみのある方も多いかもしれません。

秋川牧園では、井村さんが有機農業の取り組みを始めた比較的初期の段階から「国産有機醤油」の原料として大豆や小麦をまとめて購入するなどし、その取り組みを応援し続けてきました。今や有名人となった井村さんですが、やっぱり応援したくなる、そのこだわりと取り組み。直接お話しをお伺いする機会がありましたので改めてご紹介します。

 

農家の二男。農家になる。

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金沢大地の代表、井村辰二郎さん。

次々とアイデアを出し、自らの生産物から作る製品をプロデュースするなど、バイタリティあふれる井村さん。元々、農家の二男として生まれたものの、継ぐことなどは全く考えてなかったそう。ただ何となく大学で農学科を専攻する中で、産業としての農業の重要性について考えるようになり、農家を志しました。

しかしながらお父さんから様々な経験をした方が良いとの助言もあり、地元金沢の広告代理店で働くサラリーマンに。8年後の1997年、お父さんが体調を崩したこともあり脱サラし、井村家の5代目の農家となることを選びました。周囲は農家の苦労を心配しましたが、『曇のない明るいイメージに満ち溢れていて、周りが何でそのように言うのか理解できなかった』と笑顔で語る井村さん。井村さんの特徴ともいえるポジティブでフットワークの軽い農業はこの時点には既に始まっていたようです。

 

農家は土地を耕すのが仕事だ!

水田10haに畑30ha。農家をやるなら、やっぱり有機だ!と決意し、野菜の少量多品目栽培に直売所の運営と有機農業の王道と言えるスタイルから始めました。直売所を自ら建てるなど情熱を持ち取り組みますが、お父さんが苦労の末たどり着いた、河北潟干拓地※での大豆と大麦の二毛作と水田での作業に追われ、やりたいように出来ないもどかしさに直面します。

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河北潟干拓地は粘土質で水はけが悪く、米作には向かない土地柄。広い干拓地での 米作を夢見て就農した多くの農家はその土地柄に苦労。麦や大豆の他レンコンなどの栽培に活路を見出し各農家は工夫を凝らしたが、その当時すでに独特の地質に加え減反政策などによって、夢破れた農家の耕作放棄地が点在していたそう。

そして王道スタイルから方向転換し、この米、麦、大豆の有機栽培に力を注ぐことを決意。その畑を借入れ、農地を拡大し大規模農業に取り組んだことが現在の成功につながります。お父さんの代から取り組んできた土づくりに加え、大規模農業であるからこそできる除草の機械化などで、有機栽培が可能となりました。

さらには機械の大型化により、作業効率も著しく向上し収量も多くなり、経営が安定することに。この頃「農民とは、農家とは、何なのか?」と以前から自問してきた命題に一つの答えが。それは「農家は土地を耕すのが仕事だ!」ということ。その想いは千年後も繋いでいく産業としての農業の役目として耕作放棄地を次々と耕していきます。今では金沢の河北潟干拓地に留まらず能登半島にも農地を拡大。耕作面積は、約180ha(水田35ha、畑地1 4 5 h a)となり、米、大豆、麦に加え、そば、はと麦、野菜などを有機栽培しています。

2014年には農林水産大臣賞を受賞するなど、その取り組みは多方面から非常に高く評価されています。

 

消費者と顔が見え合う関係。

 

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私たちには、きな粉や小麦粉、お醤油、豆腐などの農産加工品がなじみ深いのですが、これらは井村さんが食べている人の顔が見たいとの想いから就農と同時に豆腐作りに取り組んだことがきっかけ。これらの経験から現在の商品群が生まれました。商品パッケージに井村さんの顔写真が載っているのも顔の見え合う関係になりたいという想いからです。麦茶にきな粉など、どれも一度味わってもらえば分かりますが、その力強い味わいに本当に圧倒されます。23金沢大地_6

 

 

 

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